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若沢寺(にゃくたくじ)は、長野県松本市波田にあった真言宗の寺院。山号は慈眼山(じげんざん)。天平勝宝年間に行基が創建したとされ、江戸時代後期には信濃日光と称されるほどの規模を持ったが、廃仏毀釈で明治4年9月に無檀帰俗のため廃寺とされた〔『波田町誌 歴史編』737ページ。なお同書は出典として、長野県庁蔵『明治8年廃寺取調帳』をあげている〕。 ==概要== 若沢寺は水沢山の山腹にあった。行基が創建し、後に坂上田村麻呂が東征の折に再興させたとの伝承がある。廃寺となった経緯については先述の通り。 跡地は、2011年3月22日に松本市特別史跡に指定された。標高約940mで、江戸期から数段に造成され、各段に庫裏・中堂救世殿・金堂・田村堂などが造られた。廃寺後も、それらの礎石が残っている。往時の寺の境内は周囲13kmあったというが、現在の広さは約1万1000平方メートルであり、周囲は国有林になっている。 若沢寺にあった建物群のうち、「田村堂」と呼ばれる厨子1つが地元集落に移されて残っている。信仰の対象になっていた仏像も各地に散った。うち数体が地元の盛泉寺に保存・安置されている。 ファイル:Site of Nyakutakuji.JPG|若沢寺跡に建てられた石碑 ファイル:Tyoseki of Nyakutakuji.JPG|若沢寺への道程を示していた「丁石」 ファイル:Jizo at Josenji.JPG|もと若沢寺の六地蔵。今は盛泉寺に鎮座。 ファイル:Nyakutakuji1.jpg|金堂跡。発掘調査中。2005年8月11日撮影 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「若沢寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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